井手町とあなたのいいであい 井手町町勢要覧
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良と京都という二つの都の中間に位置していた井手。古くから豊かな自然が広がる風光明媚な里として知られていました。 奈良時代には時の左大臣橘諸兄が一族の本拠地として井手の里を選び、井手寺を建立したほか、平城京の大寺院大安寺へと納める瓦を生産していたなど、文化・産業ともに盛んな地域でした。時代が平安に移った後も、小野小町による「山吹の歌」や、「松の下露の碑」に彫られた後醍醐天皇の歌などに詠まれていたように、都の文化薫る地であり続けました。 今でも町内には往時の姿を思い起こさせる文化財が多く残されており、古来先人によって守られてきた里の情景や、人々の想いと出会うことができます。奈東西南北とも約240mの規模を誇り、塔や金堂を中心に七堂伽藍が立ち並ぶ大きな寺院であったとされています。井手寺跡南都七大寺の一つ大安寺の瓦を生産していた瓦窯跡で、4基の窯跡と灰原が発見されています。平成18年に国の史跡に指定。石橋瓦窯跡玉津岡神社に隣接し、里を一望できる高台に建っています。鐘楼横の樹齢300年近い枝垂桜は、京都府の天然記念物に指定。地蔵禅院上井手地区にある神社で、境内には橘諸兄を祀った橘神社があります。江戸前期に再建された本殿は京都府の登録文化財に指定。玉津岡神社歴史と未来がであうまち平城京と平安京。二つの都にはさまれた井手の里は、古の貴人からも愛される美しい里でした。聖武天皇を補佐し「井手左大臣」と称され政界の最高位に昇った人物です。井手を愛し、別業(別荘)を構え、井手寺を建てました。橘諸兄国際文化華やぐ天平の時代。平城京からほど近い井手は、当時から山吹の咲き誇る清流の地として、橘諸兄をはじめ多くの人の心にやすらぎを与えました。奈良時代橘諸兄公旧跡歴史文化いいであい20

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